+猫アパートの住人+

201号室

 誰にでも秘密はある。
 

 それがミチョコの信念だ。

 では、ミチョコ自身はどうなのか、と問われれば当然答はイエス、である。だが、その秘
密がどういう類のものであるかは、誰にも答えないことにしている。たとえそれが、自分の
夫であっても。





 ミチョコと夫のリョウジュは、「猫アパート」の201号室に越してきたばかりだ。
 新しい部屋は、三つの寝室と広いリビングダイニングがあった。二人きりの生活には充分
すぎる大きさである。
 その上、ミチョコとリョウジュ好みのインテリアも揃っていた。
 白い壁と大きな窓。リビングにはガラス天板のローテーブルに、紺色のバルセロナチェ
アーが配してあった。
 
 しかし、二人の生活は甘いという言葉から、ちょっと外れていた。

 リョウジュは格闘技の選手で、一年の三分の二は巡業とか興行とかで家にいなかった。た
まに家にいるときも、寝室の一つを改造したトレーニングルームで汗を流しているだけで、
ミチョコの相手をあまりしてくれない。
 もっとも、二人の共通点はあまりないと最初から承知していたのではあるが。


 ミチョコに自覚はなかったが、彼女は少々寂しい思いをしていた。


 リョウジュが今年、4度目の海外遠征に出かけた日のことだ。
 部屋の掃除をしていたミチョコの目に、見慣れない物体が入ってきた。
 それは2匹の猫のようにもみえた。だが、猫と言うにはあまりにも奇妙な毛の色だったの
である。
 
 一匹はオレンジに近い金色で、金色の目をしている。もう一匹は、ブチ猫だったが、白地
になんと、赤いブチが配してあったのだ。
 色だけ見れば、まるで金魚のようだ。しかし、形態は猫のようだったし、第一水に浸かっ
ていなかった。

 2匹はとても仲睦まじい様子で、なにやら囁き合っている。一体どこから紛れ込んだのだ
ろうか。
 いや、それ以前に、この生き物が…生き物であるとすれば、だが…本当に猫であるか確か
める必要があるように思えた。
 そっと近づいてみると、2匹は彼女の方に向き直った。しかし、逃げる気配はない。

 「あなた達、どこから入ってきたの」

 ミチョコの問いかけに、2匹は小首を傾げた。

 「僕たち、別の星から来た。僕はプー。これはプン」
 
 金色の方が、そう答えた。
 猫様の生き物が口をきいたことに、ミチョコは目を丸くした。

 「やだ。私ったら夢を見てるんだわ」

 「夢じゃないわよ。でも、これは3人の秘密にして」

 ブチの方、つまりプンがそう言った。ミチョコは頭が混乱するのを感じ、とりあえずバル
セロナチェアーに腰をかけた。

 「OK。で、何かしら。地球侵略でもするつもりなの?」

 「まさか。僕たち、迷子なんだ。迎えが来るまで、かくまって欲しいんだ」

 プーの言葉は、真剣そのものだった。
 これは夢なのだ、と自分に言い聞かせながら、ミチョコは口を開いた。

 「ひとつ、聞いて良いかしら」

 「何?」

 「あなた達は、何を食べるの?」

 「基本的には、自分たちで必要な栄養素を全て作り出せるの。日光浴さえしていれば」

 プンが、自慢げに答えた。
 後で気が付いたことなのだが、プンは自意識過剰気味の性格をしていて、言葉遣いにもそ
れが現れるようである。

 「じゃぁ、とりあえず、私を餌にはしないわけね」

 

 2匹との生活は、なかなか刺激的だった。
 海外遠征に出かけたリョウジュは、一ヶ月は帰ってこない。今までであれば、その間の孤
独を埋めるために買い物に出かけたり、友達と長電話をしたりして過ごすと決まっていた。
 だが、今やミチョコは、毎日を2匹に振り回される始末だ。

 ちょっと目を離した隙に、2匹はリョウジュのトレーニングマシーンをなにやら分からな
いものに改造してしまったり、あるいは電子レンジを他の物体に変えられてしまったりし
た。
 トレーニングマシーンは、すぐに元に戻させたが、電子レンジはしばらくそのままにして
おいた。
 何しろ、口頭で料理名を伝えただけで、すぐにそれが電子レンジの中に出来上がるという
優れものに改造されていたからだ。お陰で、毎日ミチョコの好物を手軽に食べられるように
なった。

 2匹が居候するようになって、2週間も経った頃である。
 ミチョコは前々から不思議に思っていたことを、2匹に聞いてみることにした。

 「ねぇ。あなた達の星では、みんな…その、猫なの?」

 最近は光合成だけでなくて、生クリームも好きになったプンが、ホイップクリームの皿か
ら顔を上げると、いともあっさりと否定した。

 「違うわよ。この姿は、あんたの心の中にあった形態から、選んだのよ」

 「じゃ、元はどんな形なの?やっぱり、タコみたいな形なの?」

 プンはまるで猫みたいに顔を洗うと、軽蔑するようにミチョコを眺めた。
 
 「タコがどういう形態なのか、今知ったけど…そんな形じゃないわ。あんたって、ホン
  ト、失礼なこと時々言うのね」

 ミチョコはむっとすると、プンの鼻先からホイップクリームの皿を取り上げた。

 「ごめんよ、ミチョコ。プンは口が悪くて。僕らは固有の形って言うものを、持っていな
  いんだよ。見る人の心に描いたものに、見えるんだ」

 プーの説明に、ミチョコは興味を覚えた。

 「じゃ、初めてあなた達と出会ったとき、私は猫を思い浮かべていたって事?でもそれに
  しては、猫じゃない色だわ」

 「色は、私たちの好みよ」

 またしても、プンが高慢な態度で答えた。

 「あら、そうなの。プンって案外、趣味悪いわね」

 大人げないと思いながら、ミチョコはついつい、嫌味を返してしまった。しかしプンは気
にとめた様子もない。おそらく、ミチョコの言葉が本心ではないと読みとってしまったのだ
ろう。 
 ふと、プーの表情が寂しげなものになった。

 「ミチョコ。僕たち、そろそろお別れだよ」

 「お迎えが来たの?」

 「いいや。君の同居人…えーっと、リョウジュが帰ってくるよ」

 ミチョコは首を振った。
 
 「彼が帰るのは、もっと先の話よ」

 「ううん。僕らには分かるんだ。明日、帰ってくる。そうしたら僕らのいる場所はなく
  なってしまう。だから、お別れだよ」

 プーの言葉の真意が、ミチョコには分からなかった。部屋もあるし、リョウジュは動物好
きだから、追い出すなんてことはしないと説得してみたものの、プーは首を振るばかりだっ
た。プンを懐柔しようとしたが、話を聞いてくれさえしない。


 そして、翌日。


 2匹の姿は、何処にも見えなくなっていた。
 ミチョコは名前を何度も呼び、プンの好きなホイップクリームを山盛りにした皿でつって
みたりもした。
 だが、2匹は姿を現さなかった。

 まるで、最初から存在していなかったかのように。





 夜。

 ドアチャイムが忙しく鳴らされて、ミチョコは飛び起きた。どうやら、いつの間にか眠っ
てしまったらしい。
 目をこすりながら、玄関を開けると、満面に笑みを浮かべたリョウジュが立っていた。
 両手にかさばる荷物を抱えながら、彼は楽しそうに玄関をあがった。

 「ビックリしただろう。思ったより早く帰ってきたから」

 子供のように笑う彼につられて、ミチョコも笑顔になった。

 「うん。ビックリした。それで、何をお土産に買ってきてくれたの?」

 リョウジュはいそいそと、荷物をほどいた。

 それは小さな水槽だった。
 彼はカバンの中から、そっと何かを取り出すと、ミチョコに手渡した。みれば、ビニール
袋の中で2匹の金魚が、寄り添いながら泳いでいる。

 「早く、水槽に入れてあげないとな」

 リョウジュはそういいながら、水槽を持ってキッチンへ向かった。

 ミチョコはビニール袋の中の金魚を、もう一度眺めてみた。
 
 一匹はオレンジに近い金色で、もう一匹は白地に赤いブチ。

 そして。


 2匹はミチョコの顔を見ると、そっとウィンクを返した。


 「なぁ。名前、なんにしようか」

 キッチンからリョウジュが声をかけた。

 「プーとプン」

 ミチョコの答えに、リョウジュは笑った。

 「良いね。そうしよう」

 

 

 秘密の種類にはいくつかあると、ミチョコは最近になって理解した。

 人に知られたくないから隠すだけではなく、信じて貰えないから隠すというのも、秘密に
する理由であると知ったからである。
fin