クリスマス夜話


 街中にきらびやかなクリスマスの装飾が施されるようになると、タイタン二世は自分の名前にいつ
も疑問を持つようになる。
 この家には猫はタイタン二世だけである。それなのに、何故名前に2がつくのか。
 常日頃、疑問に思うことではあったが、今の季節は殊更その謎に焦点があう。それというのも、同
居人の1人がこの時期は物思いに沈むからである。
 物思いの原因が自分にあると、なんとなく彼には分かった。一緒に暮らしていれば、そういった機
微にも、敏感になるというものだ。

 今年もジングルベルが街を賑わせている。
 タイタン二世は自室の窓から、下界を見下ろした。彼の住んでいるのは、全面ガラス張りの「前衛
建築」とか言う名前のペントハウスである。いちいち説明するのが面倒なので、彼はその家を「温
室」と呼んでいた。
 温室の外の「空中薔薇園」には、咲き遅れた薄紅の薔薇が一輪だけ、ひっそりとほころんでいる。
なんとも寂しいばかりである。それに引き替えて、温室のなかは今なお、春爛漫といった風情だっ
た。

 甘い薔薇の香りとバニラの混じったような匂いが、タイタン二世の鼻腔をくすぐった。匂いの元に
首を巡らせると、彼の同居人がティーテーブルにお茶を並べているのが目に留まった。
 ベルベットの声で彼は鳴くと、同居人の足元に座り込む。同居人は目を細めると、何事か呟きなが
ら彼を抱き上げた。
 同居人の長い髪の毛に、鼻面をつっこみ、タイタン二世は喉を鳴らした。
 
 今日こそは、名前の謎について話して貰おう。

 彼はそう思いながら、ちょっと狡そうに舌なめずりをした。



 気がつくと、彼はゴブラン織りのソファーに丸くなっていた。
 どうやら同居人に抱かれている間に、眠り込んだらしい。ソファーの上に降ろされたことを、おぼ
ろげながら思い出してタイタン二世は照れ隠しに顔を洗った。

 ふと、何かの気配を感じて、彼は毛繕いを途中で停止した。高々と揚げられた後ろ足を、ゆっくり
と降ろすと彼は気配の主に目を凝らした。

 それは美しい大きな茶縞の猫だった。
 真っ白い四肢と、真っ白い胸の毛。ぴんと張った、大きな正三角形の耳は顔よりも面積が広そう
だった。黄色がかった緑の瞳はちょっと垂れ気味のアーモンド型で、どことなく間の抜けた雰囲気を
漂わせている。
 身体よりも長いであろう尻尾を、高々と掲げながら、彼はタイタン二世に近寄ってきた。
 大きいと思ったが、傍に来てみればタイタン二世よりも少し身体は小さいようだ。もっともタイタ
ン二世よりも体の大きい猫を探すのは、少々困難だろうが。
 
 「君がクリスマスなの?」

 その縞猫が、甘ったるい声で聞いた。身体は充分大人だというのに、この縞猫の声は生後二ヶ月の
仔猫を思い起こさせた。

 「いいや。君は誰だね」

 縞猫はおずおずと、タイタン二世に鼻をこすりつけた。お返しに、彼も縞猫に鼻をこすりつける。

 「ボク、ターボーってみんなに言われてるの。本当はタイタンって言うの」

 そういうと、縞猫は照れ笑いをした。

 「それは奇遇だな。オレはタイタン二世だ。ところで、何してるんだ?人の家で」

 タイタンはビックリしたような顔で、タイタン二世を見た。彼の瞳に、タイタン二世の黒い顔が
映っている。

 「君はクリスマスじゃないの?」

 「違うよ。見ての通り、君と同じ猫だ。ただ、君よりも少々体が大きくて、毛が長い」
 
 「じゃぁ、クリスマスはどこなの?」

 「さぁ?考えたこともなかったな」

 やはり、この縞猫は少々お緩いようだ。同じ名前だというのに、情けない。タイタン二世は相手に
失礼のない程度に、溜息をついた。

 「君、黒いね。黒猫なの?」

 「そうらしいね。腹はグレーだから、厳密には違うだろうけど」

 「ゲンミツ?よく分からないや」
 
 「つまり、細かい事を言えば、ということだよ」

 「ふーん。でも君が黒猫だとすると、クリスマスはどこなんだろう」

 「分からないね。ところで、何で君はクリスマスを探しているんだ」 

 タイタンは途端にうっとりとした顔つきになった。

 「クリスマスは素敵なんだよ。なにしろ鳥の唐揚げがある」

 「そうなのか?うちはクリスマスにはスタッフドチキンだけど」

 「あと、生クリームのケーキもあるよ!」

 タイタン二世は、翡翠色の目を大きく見開いた。

 「まさかと思うが、君はあのろくでもないものが、好物だなんて言うまいね?」

 生クリームのケーキがろくでもないかどうか、タイタンは答えなかったので、彼がそれをどのよう
に思っているのかタイタン二世には分からなかった。しかし、タイタンにタイタン二世の質問が、理
解できなかったことは確かだった。 

 「とにかく、素敵なんだ。クリスマスって。だからボクはクリスマスを迎えに行くんだ」

 「それで、いつから探しているんだ。その、君のクリスマスを?」

 タイタンは小首を傾げ、顔を洗った。

 「覚えてないよ。ずっと、ずっと、探しているんだもの」

 「最後にクリスマスに出会ったのは、いつだったんだね」

 好奇心を覚えて、タイタン二世はそう尋ねた。好奇心は猫を殺す、ということわざがあるが、間違
いなくタイタン二世はそのクチだった。
 タイタンはゆっくりと身体をなめ回し、最後に耳の後ろを丁寧に撫でつけると、ようやく口を開い
た。
 毛繕いが彼の思考回路を幇助しているらしい。

 「えっと…おねぇちゃんが、風邪をひいた日」

 「お姉ちゃん…?誰かと一緒に住んでいるのか?」

 「うん。クリスマスを探しに行く前には、みんなと住んでたよ」

 「それで、今はどうなんだね」

 「うん。気がついたら、誰もいなくて。だって、仕方ないもの。遠くに来すぎちゃったんだよ、ボ
  ク」

 タイタンはそういうと、哀しそうに頭を垂れた。長い尻尾の先が、物憂げにゆらゆらしている。タ
イタン二世は、ふと何かを思い出しかけた。しかし、それがいったい何だったのか、どうもはっきり
としない。喉元まで答は出かかっているのに、はっきりとこうだ、と言えなかった。

 「クリスマスを探し出したら、おねぇちゃんにプレゼントするんだ」
 
 タイタンはそういうと、少しだけ微笑んだ。

 「素敵なんだよ、クリスマスって。だからきっと、おねぇちゃんは元気になるよね」

 「ああ、そうだね。きっと元気になるよ」

 タイタンはふと、天井を見上げた。黄昏色に染まった硝子が、彼を殊更美しく光り輝かせているよ
うだ。

 「もう、行かないと。早くしなくちゃ。随分、おねぇちゃんを待たせているから」
  
 タイタン二世も、タイタンの見つめる先に何かあるような気がして、一緒に天井を見上げた。

 「君のクリスマスが早く見つかるように、祈っているよ」

 彼はそういうと、タイタンに視線を戻した。
 しかし、そこには誰もいなかった。

 タイタン二世は、冷静になるためにゆっくりと毛繕いを始めた。天井から降り注ぐ日の光は、やが
て紫色に変わり、ひんやりとした冬の夜空にとってかわった。
 同居人が彼を呼ぶ声がし、タイタン二世は声のする方へ歩いていった。




 「ああ。ここにいたのね、陛下。先代と同じようにどこかへ行ったかと…」

 同居人はそういうと、彼を苦しいほど抱きしめた。

 「あの日、クリスマスの翌日にね…先代はどこかへ行ってしまったのよ。風邪をひいた私は探しに
  行けなかったの」

 同居人はそれだけ言うと、タイタン二世をそっと膝から降ろした。

 タイタン二世は彼女を見上げた。

 自分はクリスマスを探しになんて、絶対に行かないだろう。

 何故なら、知っているのだ。

 クリスマスは出迎えるまでもなく、やってくるということを。




 今年もクリスマスの夜が更けていく。
 そしてタイタン二世は、自分の名前に関するちょっとした秘密を知ったのである。
 
fin